広島の被爆65周年
いまから65年前の今日、世界ではじめて原爆が使われた。
岡山市の原爆被爆者慰霊碑の前で、毎年慰霊祭が行われ、私は広島に行かない年は必ず参加する。今日の参加者は約20人。
平末会長は「80歳をこえた。5年後の70周年はできないだろう・・。そう考えて65周年の記念碑を作った。ことしの記念式典にアメリカ大使が初めて参加したが、遅すぎる・・・と悔しさがこみ上げる。・・・・・NPT会議にも参加をしてきた。若い新聞記者のみなさんにも被爆の実状を知ってほしい。・・・」などのあいさつをされた。
高齢になられた皆さんの取り組みは、暑さもあり困難を極めている。にもかかわらず、毎年取り組まれる姿を見て、何よりその真摯な生き方に私はいつも励まされるのだ。来年も必ず参加しよう。核廃絶の声を発信し続けよう。
この秋、慰霊碑に上がる階段に手すりの設置がされることになった。ささやかな配慮の実現である。
天満屋アートスペースで原爆平和展が開催されている。(8日まで)ぜひご覧いただきたい。
高齢者を巡る状況
「113歳の行方不明」の報道に驚いた。家族が50年も連絡を取り合っていない・・・という事実に驚く。兄弟同士も音信不通・・ときくと余程のわけがあるのではないか・・・と思われる。
さらに、そういう行方不明の長寿者が全国で35人・・ときくと、「なぜ?」と考え込んでしまう。岡山市でも3人の行方がわからない。
子どもが親に無関心でいられるだろうか。私は、癌告知を受けたとき、治そう!と思った一番のエネルギーは「親より先には死ねない」と思ったからだ。7年前に乳がんの手術を受けている母に心配をかけたくない・・と思い、母には病気を伝えずに手術をして、最近になって「心配しないで」と伝えた。この母を絶対に悲しませたくない・・と思う。こどもが先に逝くという悲しみは筆舌に尽くしがたい。
母を大切にしたい・・・と思う。だから、義母の介護も「大切にされている」と感じる介護を・・・と務めた。なんとかできた・・と思うが、できなかったら辛い・・・と思う。
行方不明の高齢者の安否が早くわかることを願っている。笑いと家族に囲まれていた「きんさん、ぎんさん」の時代とは、長寿者を巡る状況が変わっているのだろうか。よく考えてみなければならない。
毎日ラジオ体操
毎日暑いですね。ことしの暑さはとりわけ身にこたえるようです。
わたしの健康法のひとつは、毎朝のラジオ体操。5時半ごろ目がさめて、少しストレッチして6時には起床、6時半からはラジオ体操をして、食事をとる・・・というのが一日のはじまりです。
ラジオ体操で、姿勢を正しくすることができます。自分のカラダの点検にもなるのでいいですよ。
夏休みラジオ体操は7月と8月の10日ほどなのですが、わたしの朝の日課は変わりません。自分でできる健康管理はしよう・・・と努力中です。
昨日の朝の空と風はフッと「秋」を思わせました。風があってカラッとしていました。そう感じませんでしたか・・・。今朝はトンボが飛び回っています。
今は暑いけど必ず季節は巡ります。体調に気をつけながら、自然の変化を感じ取りたいですね。
平和運動の夏
暑い夏は平和運動の時期だ。
平和運動にもいろいろな取り組み方がある。
「憲法9条を守ろう」の思いを美術作品を通じて伝えよう・・・と「九条美術展」が開催された。今年で6回になる。絵、陶芸、詩とのコラボ、彫刻?など多彩。会場でKさんと久しぶりの出会い、話ができて本当にうれしかった。
原爆平和展は天満屋地下アートスペースで、9日まで。被爆体験の講話をきいた中学生の感想文も展示されている。語り部活動をしておられたIさん(亡くなった)を思い出し、胸が熱くなる。
東山中学校などのボランティアの学生も案内役で活躍していた。うれしいことだ。はじまりは私とIさんが働きかけたこと・・・。今も続いており、平和の願いが少しでも伝わるとうれしい。
もうすぐ原水禁世界大会だ。ソワニエ看護学校では35人の代表がヒロシマへ参加するということを聞く。うれしい!参加の支援のため、Tシャツを作ったというので、1枚購入。
いのちにかかわる看護師が真剣に平和のことを考えるのは、自然なこと・・・。祈りの中で何かを感じて帰ってくるに違いない。その感性は看護に生きていくに違いない。
敬老祝い金と介護者慰労金の制度を「仕分け」にかける・・という政策能力とは
7月31日に岡山市の事業仕分けがあった。高齢者福祉の制度のうち「敬老祝い金」と「介護者慰労金」の制度が仕分けにあげられた。なぜ、この岡山市の独自制度が仕分けになるのか・・・との質問が何人もの人からあがるのは当然である。
敬老祝い金の議論で、ある仕分け人は「自分の祖母は100歳のいわいの品を受け取り辞退をした。年をとり、片付けを考えている人はモノを必要としていない。廃止したほうがよい・・・」と発言。個人の体験によるひとつの意見としてはそういう意見もあろうが、正直驚いた。
同じ人は、「介護者慰労金についても介護保険制度導入のとき廃止について議論しておくべきであり、介護保険になじまない・・・」と発言。市議会の議論のことなどご存知ないのだ・・・と驚いた。
介護保険制度が高齢者を支えるのに十分でない制度であり、一般高齢者施策を継続することの意味を指摘し、大議論した経過がある。「保険あって介護なし」になる・・・という懸念があった。そして、慰労金制度は残った。
助言者が指摘されたとおり、介護保険制度のもとで「介護殺人」が後を絶たない。家族介護をあてにせず、共倒れしない社会をつくると説明した政府や行政当局の言葉に誰が責任をとるのか。
保険福祉局長は「サービスはよくすることができます。でも負担も増えますよ。そういう仕組みなんです」と開き直った。これにもびっくり!
国に公費負担割合を増やすように求めてがんばる姿勢が感じられないのだ。政令市の幹部がこの程度の認識では福祉予算を増やすことはできない。
敬老祝い金のあり方を考えるなら対象者にアンケートをとり、市が判断すればいい。
介護者慰労金についても、専業主婦は支給対象だ(つまり夫はフルタイムで働いている)が、正規職員として働きながら介護しているひと(働かないと生活できない)には支給しない仕組みを改善するのは当然ではないか。施設待機者が増え続ける中で家族介護の実態は危機的である。介護を理由に退職を余儀なくする現状をすこしでも支えるのは意味があるではないか。不況の中で、経済的に少しでも支えになることは意味がある。なぜ、それを市が「仕分け」にかけなければ判断できないのか・・・そこに政策能力の危機を感じるのは私だけだろうか・・。
議員数削減より政党助成金廃止を!
臨時国会が始まっている。
議員定数の削減を民主党は考えているという。何のために削減するのか・・・。「経費削減」のためか・・。それとも国民の代表は少ないほうがいいとでもいうのか。
国民は何を考えて「削減」を支持する人が多いのか。
経費削減なら400人削減効果のある政党助成金廃止が真っ先にされるべきだ。そもそも、思想信条の自由を無視して国民の税金を政党活動に(議席に照らして)補助するのがおかしい。
なぜ国民はこの問題より議席を減らすことにだけ関心を持つのか・・・。減らす数は80人だと民主党はいうが、根拠はなにか・・・。
民主主義からいえば、議員は票数に比例しているのがいい。いまの小選挙区制はその点ではおかしい。
すべてを比例選挙にして小選挙区をなくしてはどうか。民主党が46%の得票で約70%の議席を得る選挙制度改悪は、理屈に合わない。
小選挙区制度は、自社政権のときに導入されたことをわたしは忘れない。衆議院議長は土井たか子さんだった。一度否決をされた議案を「議長斡旋」で復活させてまで成立させたあの時の「裏切り」をわたしは忘れない。