敬老祝い金と介護者慰労金の制度を「仕分け」にかける・・という政策能力とは

10年08月3日 | とし子からの手紙

7月31日に岡山市の事業仕分けがあった。高齢者福祉の制度のうち「敬老祝い金」と「介護者慰労金」の制度が仕分けにあげられた。なぜ、この岡山市の独自制度が仕分けになるのか・・・との質問が何人もの人からあがるのは当然である。

敬老祝い金の議論で、ある仕分け人は「自分の祖母は100歳のいわいの品を受け取り辞退をした。年をとり、片付けを考えている人はモノを必要としていない。廃止したほうがよい・・・」と発言。個人の体験によるひとつの意見としてはそういう意見もあろうが、正直驚いた。

同じ人は、「介護者慰労金についても介護保険制度導入のとき廃止について議論しておくべきであり、介護保険になじまない・・・」と発言。市議会の議論のことなどご存知ないのだ・・・と驚いた。

介護保険制度が高齢者を支えるのに十分でない制度であり、一般高齢者施策を継続することの意味を指摘し、大議論した経過がある。「保険あって介護なし」になる・・・という懸念があった。そして、慰労金制度は残った。

助言者が指摘されたとおり、介護保険制度のもとで「介護殺人」が後を絶たない。家族介護をあてにせず、共倒れしない社会をつくると説明した政府や行政当局の言葉に誰が責任をとるのか。

保険福祉局長は「サービスはよくすることができます。でも負担も増えますよ。そういう仕組みなんです」と開き直った。これにもびっくり!

国に公費負担割合を増やすように求めてがんばる姿勢が感じられないのだ。政令市の幹部がこの程度の認識では福祉予算を増やすことはできない。

敬老祝い金のあり方を考えるなら対象者にアンケートをとり、市が判断すればいい。

介護者慰労金についても、専業主婦は支給対象だ(つまり夫はフルタイムで働いている)が、正規職員として働きながら介護しているひと(働かないと生活できない)には支給しない仕組みを改善するのは当然ではないか。施設待機者が増え続ける中で家族介護の実態は危機的である。介護を理由に退職を余儀なくする現状をすこしでも支えるのは意味があるではないか。不況の中で、経済的に少しでも支えになることは意味がある。なぜ、それを市が「仕分け」にかけなければ判断できないのか・・・そこに政策能力の危機を感じるのは私だけだろうか・・。