熱中症対策で緊急要望
猛暑が続いている。ことしの熱中症のひとの数は多くて、救急搬送の数が増えている。
梅雨明けで急に暑くなり、カラダが対応できないでいたことに始まり、猛暑日が長く続いている。
この数日は少し落ち着いているようだが、若い人も多く運ばれる・・・という。しかし、命にかかわるのはやはり高齢者で、低所得者が多い・・・とのこと。
生健会は、残暑も厳しい13日、岡山市との交渉を行った。切実な実状が示され、市の対応を迫った。いのちを守りたいという切実な思いが伝わる内容だった。
憲法9条・25条を生かして健康福祉都市岡山を
猛暑が続いている。ことしの熱中症のひとの数は多くて、救急搬送の数が増えている。
梅雨明けで急に暑くなり、カラダが対応できないでいたことに始まり、猛暑日が長く続いている。
この数日は少し落ち着いているようだが、若い人も多く運ばれる・・・という。しかし、命にかかわるのはやはり高齢者で、低所得者が多い・・・とのこと。
生健会は、残暑も厳しい13日、岡山市との交渉を行った。切実な実状が示され、市の対応を迫った。いのちを守りたいという切実な思いが伝わる内容だった。
沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落したのは今から6年前のことだ。日航機墜落事故の影で報道されないが、忘れてはならない事故だと思う。
米軍基地があるということは、大きなリスクを抱えていることでもある。絶えないこどもや女性への暴力、交通事故、そして墜落事故・・・。
ある人が「崎本さん、本当に米軍基地は要らないと思う?」
私は「本当にいらないと思う。中国とも北朝鮮とも本気で向き合い、対話することなしに付き合いはできない。国際的な関係も外交力が勝負。戦争は外交の失敗の結果よ。」とこたえた。
抑止力論にとらわれている政府は確信が持てないだろう。しかし、国際社会は紆余曲折をしながらも、アメリカ一国主義ではなくなったし、軍事同盟の「連帯」ではなくなってきている。
国際社会も事実と道理で動く時代に動いていくに違いない。
地域文庫のボランティアをしている。そのご縁で、こども読書環境をよくする市民の会に参加している。
絵本の読み聞かせは楽しい。季節ごとに保育園に行ったり、児童センターで読んだりする。こどもたちの反応は率直だ。こどもたちにとっては、「七夕のおばちゃん」「豆まきのおばちゃん」である。みんな「さきもとさん」とよんでくれて、いわば友達・・・。掛け合いが楽しい読み聞かせは、ためされる時でもある。だから、準備が必要だ。・・・・
ともかくも、どの子にも読書のいい環境をつくりたいと活動している。
岡山のこどもたちにとっては学校図書館司書はいて当たり前だが、それは岡山市の特色である。読みたい本が見つからないとき、尋ねることができる環境は、「尋ねる」という力を付けてくれる。
推進計画ができて、今年は2年目。国民読書年の今年は計画を具体的に推進したい・・・と、「市民の会」は要望書を提出した。
4項目の願いの中で、読書マップをつくること(来年2月ごろ)、ボランティアなどの情報交換会を企画していること、中央図書館に「センター」をセンターとして考えており内容を作りながら「看板」をかけれるようにしたい・・・という思いなどを確認することができた。
計画に実施計画はないが、毎年具体的な実現を通して、着実な推進をしていきたい。
中区だけ地区図書館がないのも残念な状況だ。つくりたいなあ「中区図書館」!!
菅政権は、「日本による韓国の植民地支配は、韓国の人々の意に反して行われた」「植民地支配がもたらした多大の損傷と苦痛に対し、痛切な反省と心からのお詫びを」という趣旨の談話を決定したと報じられた。朝鮮王朝の古文書を「引き渡す」ことも決めた。
しかし、「韓国併合条約」は法的に有効・・・との認識で、歴代政権の見解を踏襲している。韓国政府は評価したが、韓国メヂィアや与野党から「不十分だ」の批判が飛び交っている。
仙谷官房長官「個人補償・請求権の問題は決着済みという前提だ」とのべ、慰安婦問題などの真の解決には道を閉ざしている。談話では触れもしなかった。
民主党と自民党の中からは、今回の談話を出すことへの批判が出ているという。どうしたことか・・・!
歴史は過ぎたことだ。事実はひとつである。事実に基づいて共通認識をもち、未来志向の対等な新しい関係をきずかなければならない。戦後処理としてなさなければならないことは、国としてきちんとするのは当たり前だ。戦後65年も経って、80歳を過ぎる人の人権回復をするのにためらうことはないと私は思う。
金額の問題ではなく、人としての誇りの問題なのだから・・・・。
岡山市議会は「決議」をしている。慰安婦問題など懸案事項の解決のために行動する・・!と。
私は看護師である。1975年に岡大看学を卒業。外来、救急、手術室、訪問看護、病棟などを経験した。外科系が多く、手術患者やがん末期の看護を多く経験した。ターミナルケアは看護経験10年目ごろの私の課題だった。患者さんに添うことがどういうことか解からず悩み、苦しんだ。
行き着いたのは、「できることはさせてください・・・という気持ちで、そこにいること」だった。せめて逃げずに訴えを受け止めできることを誠実に実行しよう・・・。その実践をはじめてまもなく、議員となり中断することとなった。
しかし、この姿勢は、議員になっても役立った。
看護実践を中断してから24年が過ぎようとしている。今年、自分が患者体験をしてずっと溜め込んでいた「看護」への思いがあふれる。
この間、医療を巡る状況が激変した。「看護」とは何か・・・。あらためて、今「看護」を語り合いたい気持ちが膨らんでいる。
平井一丁目の内田さん宅で「戦地からのたより展」が開催されている。自宅のギャラリーで、叔父2人が両親や姉妹に宛てて書いた手紙やハガキが150点余り展示されている。
長男と次男を戦争でなくした母親は、帰ってこなかった息子たちの手紙を捨てれるはずがない・・・。同じ母親としてその悲しみが伝わってくるように感じた。
手紙やハガキを読むことで、戦争を身近に感じて、戦争が家族を引き裂くもの、息子たちは家族を思いながら戦地で亡くなった事をリアルに感じれるのではないか・・。「訳」にかかわった東商業高校の若者たちにも何か心に残ったのではないか。
物言わぬ「遺品」の力を知り、自宅でこのような展示会を開催された内田さんの志に敬意を表したい。その行動力を見習いたいと思う。15日まで開催中、ぜひご覧いただきたい。
戦争を繰り返してはならない。命を懸けて産み出したこどもを戦争に行かせてはならない。そのためには、母親は命を懸けてでも「戦争はダメ。憲法9条がある」と声をあげ、行動しなければ・・・と心底思っている。声を上げれないような世の中に逆戻りさせてはならない。
高齢者などの孤立化が言われる中で、地域の行事があらためて見直されている。「顔の見える連携」が必要だ。顔を知っている・・・というつながりは強い絆でなくても、緩やかな大切な繋がりとなるに違いない。地域で孤立しない、させない努力が必要だ。
私は様々な相談にのってきたが、人の人生を変わりに担うことはできない。私にできるのは、「相談をする」というエネルギーをもっているその人の「生きる力」を信じて「ともに」考え、できることを誠実に実行することだけだ。できないことも多かったと思うが、できることは手を抜かなかった。
共産党の多くの議員がそんな思いで、多くの相談にのっている。
来春の市議、県議の選挙は同時選挙。中区は、林潤市議予定候補と氏平三穂子県議予定候補を先頭に闘う。人との絆をしっかりつないで・・・・。
写真は倉田福祉センターまつりでの一枚である。