替え歌がヒット・・・「麻生政権冬景色」
替え歌が流行っているそうです。
「アメリカ発の金融危機がおきた時から 政権維持は藪の中
期待された経済対策何もできずに 支持率だけが落ちていく・・・・・・・・(略)
あーあ 麻生政権冬景色」
2番では、
「ごらんあれが二世議員できが悪いと 多くの人がゆびをさす
思いつきで補正予算出してみたけど 身内にケチをつけられる・・・・(略)
あーあ麻生政権冬景色」
庶民はよくみています。総選挙をすべきだ・・・という世論がさらに高くなっています。
憲法9条・25条を生かして健康福祉都市岡山を
替え歌が流行っているそうです。
「アメリカ発の金融危機がおきた時から 政権維持は藪の中
期待された経済対策何もできずに 支持率だけが落ちていく・・・・・・・・(略)
あーあ 麻生政権冬景色」
2番では、
「ごらんあれが二世議員できが悪いと 多くの人がゆびをさす
思いつきで補正予算出してみたけど 身内にケチをつけられる・・・・(略)
あーあ麻生政権冬景色」
庶民はよくみています。総選挙をすべきだ・・・という世論がさらに高くなっています。
「百年安心」という言葉を多くの人はわすれてないと思う。
2004年の年金制度改悪のことだ。自公政権は「百年安心」だと宣伝をして、保険料を13年毎年値上げし、給付抑制するしくみをつくった。それにより、毎年年金の掛け金はふえている。
厚生年金の給付を50パーセントは確保するというのが「約束」だが、今回の検証ではぎりぎり50、1パーセントとなっているものの中身をみると、非現実的・・・。50パーセントを超えるのは、40年保険料をかけ、妻が専業主婦の場合だけで受給者のごくごく一部で、共働きや単身世帯は50パーセントを割り込む。
国庫負担を2分の一に増やすことを前提としている。つまり、消費税率をあげても給付がさがる・・・なんてひどい・・・。「百年安心」は大嘘だった。
掛け金は運用で10兆円近く減ったというではないか・・。誰が責任を取るのか。私は自分の掛け金を運用してくれといった覚えはない。銀行に預けてきちんと給付にだけ使ってくれたらいいのだ。
少子化対策はまだまだだ。保育園まで介護保険のように契約制度にしようという。お金がなかったら必要があっても保育園には入れない制度になる。こどもの貧困が社会問題の時、罪のないこどもに経済格差を持ち込むことになることはまちがいない。
厚労省には思いとどまっていただきたい。全国からその声が上がっている。
今日、岡山イラク訴訟(第3次)の判決があった。
裁判所に傍聴に行った。私は第1次の原告の一人で、4月に判決の予定だ。
さて、判決内容だが、主文は原告の主張を棄却、却下。しかし、判断の内容だは・・・
1、イラク派遣の憲法判断を避け、「逃げた」が、「合憲」だともいっていない。政府の行動を認めてはいない。
2、平和的生存権の権利性を承認し、平和的生存権はすべての基本的人権の基底的権利である・・・と明記。徴兵拒絶権、良心的兵役拒絶権、軍需労働拒絶権などの自由権的基本権として存在し、これが侵害されたときに損害賠償請求ができることも認められるべきである・・・とも述べている。
勝訴ではないが、次につながるおおいに価値ある判決だと思う。闘い続けて引き出した判決である。
私は、こどもたちや孫たちを戦争に行かせることのないように・・・、看護師が再び戦場に行かなくてもいいように・・・と思って原告になった。この判決は、「バーバはがんばったよ」と孫にいえる判決だと思う。私は憲法9条を握って放さない。今日の判決をこれからの運動に生かしていこう。
我が家は旭東町。旭川と中環状線の間に住んでいる。街中だけど下町で、住宅街だ。ドーナツ現象の中心にあたっている。
したがって、中心部にいくにも交通の便がよく、いわゆるリバーサイドで住むのには絶好の地である。我が家にはいわゆる土がない。狭い敷地に家がやっとこ建っているのである。そういうわけで、野菜も花もプランタンでつくる。(つくるのは夫)
少し春めいてきて、小鳥たちがやってくるようになった。すこし傷んだリンゴなどを置いておくと、最近は「めじろ」の「夫婦」がやってくるようになった。その愛くるしい様子をボーッと眺めていると、実に癒される。
こんなに小さな鳥たちが懸命に生きている。「共に生きようね」と素直に思うのである。
介護保険制度ができて、9年。介護を家族の負担でなく、社会で担おうという狙いがあった。しかし、介護保険制度だけでは、担いきれない。一般福祉と市民力、そして家族力、経済力などの条件がなくては、「一人暮らしの介護5」の人は、支えることができない。
しかし、一方で「望む在宅での人生」を全うする人もおられる。山陽新聞でも報じられた事例に、私は希望を感じている。どういう条件でならそれが可能となるのか・・・。
介護保険を使いこなそう・・というシンポジウムが開かれた。医師、ケアマネ、デイサービス、ヘルパー、そして行政担当者が報告した。旭川以東の9病院の病診連携室が企画した。
さすが現場の声だ。より多くの人が「自分の望む人生の最後」をむかえるためには、介護保険だけでなく、一般福祉、地域福祉のしくみが必要・・。そして、自分はどう行きたいのかを決め、それを伝え、専門家としっかりつながって道を見つける努力が必要。人の信頼を育む言葉・・・それは「ありがとう」だとおもえた。
今年の受賞は、瀬尾まいこさんの「戸村飯店 青春100連発」。
あわせて、市民の童話賞の授賞式もあった。
岡山市の「文学」の土壌は、読書環境にある・・・と私は考えている。小中学校には、学校図書館司書があたりまえのようにいて、こどもたちの読書意欲を支えている。生きるのに迷ったとき、出会った本で道を見出したという人はおおいと思うが、「生きる力」を育むのが、読書だ。
今の時代を生きるのに、「想像力」は大切である。受賞式に参加して、本を読みたくなった。
選者の評は、実におもしろかった。
「しっかり推考してほしい。本をたくさん読んでください。・・・夏目漱石の原稿を読むと、推考のあとが良くわかる。原文が書き換えられた足跡です。なんども繰り返しよんで、直す・・・。漢字を書いたり、読めなくても総理大臣にはなれますが、作家にはなれません。・・・」
「政令市を機に、この賞の裾野を広げてはどうか・・・」の提案も・・。
かつて、私は「作品」を市民の童話賞に出したことがある。それは、稚拙なもので、とても「文学」とはいえないものだったが、諫早湾に視察に行ったときの衝撃と悲しみと、まだよみがえらせることをあきらめない・・・という思いを「ムツゴロウ」の家族とおじいさんのかかわりで書いた。
もちろん予選落ちしたが、「感じた」ときや伝えたいことを文章にしてみたい・・という土壌は、市民の童話賞や坪田譲治文学賞が培っているものではないか・・。
「本があって人がいて」という読書環境は岡山市の宝である。