岡山市革新懇が地球温暖化を考えるつどいを開催
地球温暖化を考えるつどいに参加した。県立図書館のホ―ルは満員だった。日本共産党の国際局の田代忠利さんが、欧州で見た温暖化対策について視察報告をした。
ドイツやイギリスのとりくみは、先進国として責任をもとうという切迫感のある真剣なとりくみである。
1995年にドイツの環境政策を視察に言ったので、内容はよく理解できた。
世界のCO2排出国のワ―スト4は、
アメリカ 22%
中国 18%
ロシア 6%
日本 4.8%
日本は不名誉な4位である。6%の削減目標は、十6%で逆行している。
太陽光発電の促進、屋上緑化、電車などのクリ―ン交通、都心への車両規制、どれもが岡山市の課題である。
生活の仕方を変える必要がある。もうじき洞爺湖サミットだ。食料危機への対応と地球環境問題の議論の行方を注目したい。
あきらめない運動が道を開く・・・医師不足、日雇い派遣
通常国会で日本共産党が議論でリ―ドした2つの問題で政府与党が政策を転換することになった。
1つは、医師不足問題だ。私たちは、ナ―スウェ―ブとドクタ―ウェ―ブの運動に取り組んできた。医師不足と看護師不足は深刻だと現場からの告発を続けてきたのだ。
政府は、医師は偏在しているが不足はしてないと言い張ってきた。しかし、このたび不足を認め、減らし医学部定数を増やすことになった。運動と国会論戦の勝利である。1歩前進を喜んでいる。
もう1つは、日雇い派遣をなくす問題。予算委員会で、労働者派遣法の問題だけに絞って、志位委員長が政府を追及した。人をもののように使い捨てする日雇い派遣をなくせと事例を示し、厳しく政府に迫った。その質問は、大反響を呼び、企業の中で変化が起こり始めた。キャノンでは派遣から正職員へ変わるなどの改善がされた。国会議員の力を全うに使うとはこういうことなのだ。スゴイ!!
政府与党は、1999年に改悪した派遣のあり方を見直すという。与党も動かざるをえなくなったのだ。
日本共産党は、労働者派遣法を労働者保護法に変えることを提案している。人間らしい働き方の出来る日本をつくろう。
あきらめない運動は、道を作っていく。7月15日は、日本共産党の創立記念日である。宮本百合子のいう「困難を乗り越えていく幸福感」を感じる生き方こそ日本共産党の真骨頂だ。カッコイイと私は思う。
海を越える看護団からミャンマ―の活動報告が届いた。
5月5日からミャンマ―でサイクロン被災地での支援活動をしている「海を越える看護団」から活動レポ―トが届いた。20ペ―ジの報告を読むと現地の様子が手にとるようにわかる。
看護団は、日常から現地で活動しているので、他のNGOが活動困難な中、現地のボランティアスタッフと共に、有効な支援を展開している。本当に感謝である。
これからも活動に邁進するとの吉岡先生の手紙がついていた。ミャンマ―は、まだ雨季だそうだ。家も生活用品もすべて流されてしまった人々にとって、食料や、日用品などがどれほど求められたことか。
どこの国でも青年のボランティアが大活躍。青年たちとネットワ―クを組めるのは、看護団の利点だ。
いつか私も看護師として役にたちたいと心ひそかに思っている。
平和の日・・・サイレント行動、追悼式、そして市腎協総会へ
63年前の今日、岡山大空襲はあった。約2000人ともいわれる人が亡くなった。
戦争の事実を風化させてはならない。
三勲・旭東九条の会は、9時9分のサイレント行動を呼びかけた。
そして、国清寺交差点でアピール行動を取り組んだ。近くのお寺では木魚が鳴らされた。
10時からは、追悼式があった。小中高校生が、約200人出席した。後楽館津中学校のkさんがの追悼の言葉は、
「この町にも戦争があった。戦争では、何も得られない。戦争のことを、語り継ぎ、風化させないようにしよう。思いやりの心を育てたい。」と・・・。
私はへたな短歌を詠んでみた。
この町に 戦争在りしそのことを 忘れず平和 誓うこの日に
憲法九条をしっかり生かし、平和を守ろう。
午後は市腎協の総会へ。県医師会の透析部会長草野先生の講演を聞くことができた。透析患者さんたちの実態を知り、つくらなければならない制度のしくみが見えた。政策提言をしていきたい。
声を上げることが大事だ。闘病しながら、運動にもとりくむみなさんに寄り添い私もがんばりたいと思う。