明日は阪神淡路大震災から13年目

08年01月16日 | とし子からの手紙

 「17日」は災いが多い印象がある。13年前は大震災、湾岸戦争もこの日から…。

 私の記憶がよみがえる。岡山は震度4。朝テレビの映像をみて衝撃をうけた。すぐに思ったことは、「行かなくては…」と。看護師として、「できることがある」と思った。民主医療機関連合会(民医連)は当日から支援に動いていた。すぐに連絡を取りボランティア登録して、2週間後には神戸の長田区にいた。被災地へいく前、被災に今必要なことは何かを考え、看護の視点に立って「生活支援」だと思った。食、排泄、清潔などが基本の要素、そして、しっかり聴くこと、丸ごと受けとめること。

 この支援を体験して、私は震災を追体験した。あの時のことを忘れない。大規模災害は人ごとではない。自然災害は防ぎようがないこともあるが、その被災を最少限に届めることはできる。そのために、今できることをしておこう。真剣に、後悔しないように…。

 13年前、傷ついて無表情だった小5のAさん、髪を洗ってあげたら始めて笑った…。もう24才だね。元気かな。

 避難所で、毎日声をかけ続けたBさん。帰岡する日に、「あんたの笑顔が見えんようになるのはさびしい」と涙を流して下さった。元気でおられるだろうか…。孤独死が報じられるたびドキッとする。

 新しい支援法は、あきらめない運動で成立。多くの犠牲の上に成立したこのしくみは、いざという時の生命を守ることになる。