阪神・淡路大震災から16年

11年01月17日 | とし子からの手紙

大震災から16年めの今日である。6434人の冥福を祈りたい。

私は41歳になったあくる日、震災は起きた。テレビで画面を見て「行かなければ・・!」と思った。私は看護師なのだから・・・。選挙前だったが、そんなことは吹っ飛んだ。2週間後には神戸の長田区にいた。看護師としての医療支援に入ったのだ。

その時見たことや聞いたことは私の記憶から離れることはない。私は追体験者となった。毎日ケアに走り回り、岡山市から入浴車を持ち込んで支援した。市社会福祉協議会の皆さんとの協働を忘れない。

この経験は私の市政政策の柱の一つである。防災対策、常備消防体制の拡充を訴え続けた。避難所のあり方ひとつで、命を左右することを知っている。災害ですぐに死なずにすんだ人が「肺炎」や感染症で亡くなるのをみるのは辛かった。政冶の対応の遅れが命を奪った・・・と感じた。

看護の仕事は「生活過程を整えて、命の消耗を最小限にすること」だ。その理念と実行ができる看護師は社会のなかで重要だ。

現地を離れるとき、「あんたの笑顔が見れんようになるのはさびしいな・・・」といって涙を流してくださった人はどうしておられるだろうか・・・。高齢者の復興はまだ課題があるという。

神戸市では、体験者してない人が30%を超えたというが、震災のことを風化させてはいけないと思う。